こんにちは、おばちです。
今日は雑談独り言。
夫婦のこと。
昨年叔父が78歳で他界しました。
年賀状が出せなかったので1月半ばに寒中見舞いを送ったのですが、その返事がようやく出せるようになったと叔父の奥様から暑中見舞いが届いたので電話をしました。
叔父が亡くなって1年と4カ月経過します。
苦しいと救急車で運んだ病院で集中治療室から一般病棟へ移動。
「明日退院できますので着替えを持ってきてください」
と看護婦さんに言われ、面会時間が過ぎていると促されたので
「明日また来るから」
と会話して叔母と息子(私の従妹)は帰宅。
その2時間後「容体が急変した」と連絡。
病院に戻ると肋骨が全部折れてしまった叔父に心臓マッサージを継続していたとのこと。
(病院側は親族が到着するまで続けた。。とか)
叔母は、長年続けていた仕事を介護の為退職し、半年後に叔父(旦那)を亡くしたのです。
「仕事もおとうさんもなくなっちゃったのよ。コロナでお友達にも会えない。」
反省と後悔と病院に対する不信感がいまだに続き私への暑中見舞いも書きながら涙が止まらなかったと聞いて叔母の心情を察しながら合図地を続けました。
叔母との話の中で、いくつか印象に残ったことがあります。
「定年退職後、おとうさんはお友達と段々疎遠になったけれど、おとうさんが私の元にようやく帰ってきてくれて私は嬉しかった」
叔父は父の弟ですが、堅物な私の父とは正反対。
遊び人だったことは父から薄々聞いて知っていました。
きっと叔母はそちら方面でも苦労された・・・様子。
「もっと介護をしたかった、半年しかできなかった」
この言葉には驚きました。
話を聞くとお風呂入れや便のおむつ交換等も日常されていたとのこと。
決して楽な介護ではなく、「介護」でなく「支援」認定だったので亡くなる直前までケアマネがいなかったと聞き驚きました( ゚Д゚)
必要に迫られ治療から介護の世界に入る場合、ケアマネの助けは必須です。
介護は大変だったようですが、
「ずっとそばに居られたのよ」
と、前向きな叔母には余力があった様子。
でも、半年で終わってよかったのではないかと内心思いましたけど。。。ね。
「おとうさん、好きだった」
この言葉も衝撃でした。
叔母は70歳。
姪である私にこの発言をするなんて叔母の素直な一面に接した気がしました。
叔父は好き勝手した人生らしいのですが、こんな風に思ってもらえる叔父はいいお嫁さんをもらったのですね。
叔母は、二人で晩年出歩いた日々に毎日思いを馳せているとのこと。
心の傷や切なさをいやすために必要な時間はどのくらいなんでしょう。
叔母との電話は2時間の長丁場でしたが、叔父への愛情が痛いほど伝わり羨ましささえ感じました。
今は、時間経過と人と話をすることが一番の薬。
コロナが落ち着いたら逢ってまた話を聞こうと思います。
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